卒業写真のあのころ

こんばんは!

やっぱりブログは考えすぎちゃううちに、書いては消し書いては消し….
半年ぶりです😭
もっとラフに発信できたら良いんでしょうが、これはもう私の性分だと思って、もう諦めてのんびりいこうと思います笑
 
 
さて。
43ponteの目の前にある筑波大ももうすぐ卒業式ですね!
ご卒業される皆様、本当におめでとうございます!

 


 
私は大学に行っていないので、高校の卒業式が学校生活の最後でした。


ずっとしまってあった絨毯が敷き詰められているせいで、いつもと違う埃っぽいにおいの体育館。
あぁ、これで最後なんだなぁ。泣いた方が良いのかなぁなんて、やけに冷静に俯瞰してた卒業式。

最後の退場の時、式の流れを無視して3年間お世話になった担任の先生にみんなで抱きついた事。
(あの後怒られただろうなぁ…。ゴメン先生…。)
 

実は青春真っ只中だったはずの高校卒業の頃は、上手くいかない事が重なりに重なって、シミーに『暗黒期!』と時々茶化されるような時間を過ごしていました。

何度も何度も色んな選択を間違えて、でも必死に過ごした毎日。
辛くて苦しくて、もがいてもがきまくった高校3年の卒業文集でたしかこんな事を書いていました。


「死ぬかも、と思った時最後に救ってくれたのは神様じゃなかった。ほんの些細な優しさだった。
人は一人じゃ生きていけないんだ。だから誰かへの思いやりを当たり前に持てる人になりたい。それすらも思わない程、当たり前に人に優しくなりたい。」


皆んなが楽しい思い出や夢を書く中、一人だけ雰囲気の違う内容に当時はザワついてたらしいです笑
いいんだ別に😅


私の心の中心は20年近く経った今もその頃と変わってないなぁ。
今、当たり前に優しく出来ているかと言ったら全然まだまだだけど、よく娘にはキレてるしシミーには怒ってるし笑

でも必死になって毎日毎日考えてた事は今でも変わらない。


自分が過ごす何気ない日常も、間違いなく誰かに支えられていて、そしてまた見知らぬ誰かを支えている。
目の前にいるめっちゃ大切な人も、遠くにいる全く見ず知らずの人も、そんな人達のおかげで私は今生かされているんだなぁって心から思う。

何かを頑張るにも行動を起こすにも、自分が生かされていて必要な存在で、誰かに何かをあげられるかも、っていう発見が私の中ですごくおっきな発見で。
これがなければ他の人に優しくなんて出来なかったし、一人で生きてる気になってたし、もっと傲慢だったと思う。
「は?別に一人で生きていけるし」って。

あの頃、すごく辛くて辛くてどうしたらその辛さから解放されるかだけ考えて、周りのことなんて全然見れてなかった。
でも、確かにちゃんと私の周りにはずっと優しい気持ちが寄り添ってくれてた。


そうやって、色んな人が散りばめた沢山の些細な優しさや頑張りは、回り回って誰かを救う事だってきっとあるんだって思いたい。
そしてまたそこから誰かにつながっていって欲しい。


何にも大きな事しなくても、世界を劇的に変えられなくても。
今日過ごした時間は、きっと誰かの為になってる。
うん、きっと私自身もその一人だって。
今のところ信じてます。


卒業してこれから上手くいかない事や、チクショーッ‼︎って思うような出来事に遭遇しても、今日一日過ごしてくれた事、どこかで感謝してる人がいる、それを忘れないでいて欲しいです。
少なくともここに一人!はーい!私!

つくばを離れる方、離れない方
色んな道に行ってもまたどこかで会えたら嬉しいです。
卒業おめでとうございます!